Cuisine エピソード紹介

Cuisine a domicile

【一杯のお茶】

マホガニーの北欧の家具に、お茶室の中にお部屋をあつらえたような、空間と竹林。
大きな一枚ガラスから望めるお茶室と茶庭が広がり、和と洋のそれぞれが静かに尊重しあっているそのモダンなお部屋。

今回の出張料理先である。

朝から季節はずれの雪がつもり、ご依頼主のお宅に到着した時もたっぷりと水を含んだ牡丹雪が足元を少なからず阻んでくる。

食材や機材の入った10個ほどの大きな発砲スチロールを車から運び終えたときには、私もスタッフも、すっかり髪と服がぬれていた。

出張先では1秒たりとも無駄にはできぬと、即座にコックコートに着替えて調理やテーブルセッティングを始めていくのが通常だが、今日は思いがけない雪に作業が遅れたため、さらに気持ちが競っていた。

裏口からすべての荷物を入れ終えると、奥様が笑顔で私たちを迎えてくださる。

「まぁ、お足元の悪い中ご苦労様です。まぁまぁ一杯お茶でもあがっていらっしゃい。」
と。

お気持ちはありがたかったが、すぐに
「恐れ入ります。ただ、このまま作業を始めますので…」
と、遠慮というかいつもの流れということで、奥様にそう答えた。

「いえいえ。そうおっしゃらずに。この一杯のお茶をいただいたことで、そんなに作業が大幅に変わるというものではないでしょう。一杯のお茶の時間によって、料理を出すのが遅くなってしまったのなら、その分遅く会を始めましょう。こちらもそんなに急いてはおりませんので、ゆったりと、いきましょう。」
と、ゆっくりと、そしてささやくようなやさしい口調で奥様はコーヒーを入れてくださった。

“ほっと一息”

まさにそんな言葉がぴったりの瞬間だった。

入れたてのコーヒーは雪で冷え切った身体を温めるだけでなく、パソコンの電源を再起動したような気持ちの切り替えの一杯にもなっていた。

「それにしても、なんとも美しいお部屋に、素晴らしいキッチンですね」
こちらも気持ちがゆったりしたのか、つい感じたことを口にした。
どうやら、茶道をたしなむ奥様の嗜好をとりいれ、ご主人様がすべて設計されたのだという。見事なまでに整った住空間を、奥様は常に塵ひとつない状態に保ち、建物自体から「おもてなし」と「しつらえ」を決して忘れないようにしているとのことだった。

「シンプルに生きたいのです。物も増やさないですし、食材だって控え目にあれば十分なのですよ。質素なもので暮らせますよ。」
と。

コーヒーを飲む間にも茶道をたしなむ奥様の人生学をさりげなく垣間見た時間でもあった。

9名様のお食事会。
イタリア料理の着席スタイルのご希望で、1ヶ月前の打ち合わせから奥様のイメージを形にできるように、念入りに話をつめていった。

雪の降り積もる午前8時にお邪魔してから、雪はみぞれに、みぞれはあっという間に、晴天にかわっていった。

大輪を咲かせていた真紅の牡丹のしぶきが太陽の光を浴びてより色っぽい表情になっている午後3時。
「お昼召し上がっていないわよね。いつでもお茶室でお食事をとってくださいね。」
「お茶を沸かしてございますの。ちょっとお休みになってくださいね。」
と、始終声をかけてくださる奥様。ありがたいお言葉と思いつつも、さすがに仕事を進めることにした。

いつしか陽がかげり若葉の輝きもくすみがかった午後5時過ぎ。

お食事会の締めとしてご依頼主様主催のお茶会が別宅で始まった。

片付けも済み、目立たないように失礼しようと奥様に声をかけると、「別宅の茶室にお茶と食事が用意してありますの、ご自由にお過ごしくださいと。」
そして、「お抹茶も一服いただいてくださいませ。」
とのお言葉もいただいた。

打ち合わせの時、奥様がおっしゃった。
「私がおもてなしをするとき、何かひとつ自分で手を加え、気持ちをこめたものを用意しているのです。それは、お客様だろうと、ちょっとした御用達の方だろうと、庭師の方だろうと、気持ちはいつも一緒です。」

だから、今回のお客様にも出張料理という形でメインダイニングの料理をふるまいつつも、茶室でおもてなしをしてから、最後はまた茶会で締めるという内容を組み立てたようだった。
しかも仕事で来た私たちにも「おもてなしの心」で接してくださり、奥様のお心遣いは雪をあっという間にとかすほど暖かだった。

お客様をおもてなしする職業の出張料理人が、お客様との対話の中で成長させていただく時間。

一期一会。
また次のお客様との出会いが楽しみだ。

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